「二世の言葉と心」     

   ―心は完全に、言葉は半分、日本人である―

 ポルトガルの大詩人から得たインスピレーション

 

         おおうらともこ(30歳代) サンパウロ在住

❁フェルナンド・ペッソーアの言葉  

心は完全に、言葉は半分、ポルトガル人である」

これはポルトガルの詩人、フェルナンド・ペッソーア(18881935

の言葉である。

ポルトガル人の両親を持つ彼は、幼少の頃から17歳くらいまで南アフリカのダーバンで成長した。イギリスが支配する土地で、現地の英語で授業を行う学校で学んだ。教室で席を並べる子どもは大半がイギリス人の子弟だった。

 

「文化面に関して言えば、

 内面的な生活と外面的な生活を持つことになるだろう。

 学ぶときには英語で読む。感じるときにはポルトガル語で。   

 伝えるときには英語で話す。

 ただ、本当に何かを伝えたいときはポルトガル語で語る。」

 

投稿日2014/11



 

❁心と言葉 

―両親の祖国と異なる言語文化圏で生まれ育つ場合の例― 

 

日系ブラジル人のように、両親の祖国と異なる国で生まれ育つ人は、○○系世といわれる。彼らの言語を中心とした社会生活を見てみると、本当にバイリンガルの度合いは多様である。生活レベルの言語能力は誰でも身に付けるが、両親の言語で難しいことを考えられるようになるまでには、かなりの訓練を要する。

そして、訓練をすれば、飛躍的に言語能力は開花し、言語能力に加え、2つの文化をオリジナルの言葉で理解できるという画期的な能力にも恵まれることになる。

 

  「ただ、心はどうだろう・・・。」

 

ある日系2世の男性は、ブラジルで大学を卒業した後、日本の進出企業で勤め、現在は自分で会社を経営している。ブラジル社会でリーダーシップを発揮している彼の日本語会話力、日本文化への造詣は、1世であってもよく勉強した者でないとついていくことができない。

そのような方が、ふと発した一言が気に留まった。

 

「日本語は世界でも最も感情表現の言葉が豊かな言語だと思う」

 

なるほど、日本語とポルトガル語を深く理解できる方が言うのだから間違いはないはずだ。 そして、続けて言われた。
 

「だから、私は細かな感情を表現するときは日本語の方がしっくりとくる」

 

それで、ふと脳裏にフェルナンド・ペッソーアの上述の言葉がよみがえった。

おそらく、この方が日本語の方が感情を表現するのに役立つとおっしゃったのは、日本語が感情を表現する語彙に富んでいることに加え、彼にとって日本語を感知する能力が一番心の奥深くを支配しているのかもしれないと思った。

 

 

考えることと感じることは、おそらく別である。


❁豊かな心を育む基礎となる乳児期の言語環境

人間の発達という視点から考えてみると、母親の胎内からお乳を飲む間、その間はずっと母親のぬくもりと言葉を感じて成長する。そして母語といわれるように、人間の自然なあり方として母親の言葉が幼子にとって最初の言語の世界である。それは、考える脳ではなく、もっと深い無意識の脳(多分感じることを支配する部分)に記憶が刻まれる。

 

快、不快、嬉しい、不安・・・。

生きる上で基本となる感覚が、母に温かく受け止められて、母語と合わせて、体内にインプットされていく。

そして、その積み重ねが豊かな心、豊かに生きるための基礎となり(おそらく歳くらいまでのこと)、その感覚は一生消えることのない記憶として残っていくに違いない。

 

生まれてから乳児の時に接した温かな母語は、母親の言語文化圏と異なる場で生きる。環境に置かれたことのある人、置かれることになるであろう人にとって、‘感じる言語’となることを、フェルナンド・ペッソーアやブラジルの日系2世の方の発言は物語っているのではないだろうか?

そして、心が豊かな人は、多分に詩人の傾向にある。

 


❁バルバロイや母系社会の由来

私の長男が10ヶ月ごろのことである。

彼は生まれたときから家庭は日本語、外ではポルトガル語の社会に生きていた。観察していると、歳のときから、日本語とポルトガル語、母である日本人の私や友人知人の日本人、そして非日系人を、完全に識別していた。言葉やにおい、顔の形で識別していたのだろうか?

私は、子どもが全てを当たり前として受け入れるということは間違いではないと思うけれど、まず母親、家族を中心として他者を認識し、やがて全てを受け入れていくというのが本当ではないかと考える。

ギリシア人が異文化の人々をバルバロイと称したことが、今はおぼろげに分かるような気がする。彼らは母語と異なる言語を話す人々、自らとは異なる文化の人を識別して、警戒した。バルバロイという発想は、人間にとってごく自然なことなのかもしれない。


世界の文化が、本質的にはどこも母系社会である(表面的には父系社会であっても)ということも、やはり正しいのではないかと思えるようになってきた。母親から生まれるのは絶対に変えられないのが人類の宿命で、人生の中のたった2~3年ではあるが、母親と密に過ごす乳児期の子どもの発達は、おそらく、一人の人間の人生を左右する期間だ。特に目に見えない心の営み部分で(例えば、意欲とか、ポジティブに生きようとする力など)。 それを日本では「三つ子の魂100まで」といい、アメリカの心理学者エリクソン(ユダヤ系)‘基本的信頼’を育む期間と位置付けている。









 

 

   

 


  ❁エリクソンを信じる

子供の発達で、生まれてから乳児期の育て方が狂う(つまり、赤ちゃんが絶対に守ってくれる人がいないという環境)と、建物の基礎がダメだといくら美しく装飾をしてもあっけなく崩れてしまうのと同じように、人間も崩れてしまうという。どんな環境にあっても、基礎が強ければ生き抜いていける。

 

エリクソンは、ユダヤ系のアメリカ育ちで、アメリカというブラジルと同じ多人種国家で、人々を観察してきた。同じように祖国から離れて苦労して生きる親の下に生まれながら、大きく飛躍する人とそうでない人がいる。その差をよく見極め、人間の発達過程に必要なことを得ているか得ていないかが、一つのキーポイントだという結論に達し、独自の発達論を発表した。

そして、特に乳児期の「基本的信頼(特定の人(母親が理想的)としっかりと関係が築かれている)」を得ることが必要だと結論付けた。

しかし、この論は、論文としてまとめられたのは初めてだったかもしれないが、日本にも昔からある子育て論であり‘ジェスイット・マザーという言葉があるユダヤ人の教育観の中にもある発想だ。

ユダヤ人には心理学者が多いが、世界を転々と生きるユダヤ人は色々な人間に出会うから、その中で、人間に共通する本質を見抜く力があって心理学者も多いのだろう。心理学に長けた人は、人を高める教育法を知っているし、人をダメにする方法も知っている。

教育と医療ばかりは新しいから良い、高いから安心できるというものではないと、いろんな価値観の人々が集まるサンパウロにいるとつくづく実感するようになった。

 


❁コミュニケーションをする相手に合わせて言語を使い分ける能力

アイデンティティーの確立は、この世に生れ落ちたときから始まっている。ただ、成長するにつれて自分を知り、相手を知ることをできるのが人間で、

自然に異文化の人と接することができるようになるはずだ。そして、異文化は幼ければ幼いほど受け入れやすい。    

長男(ほか次男以下)は家庭とは異なる言語の中で楽しく遊び、幼稚園でも特に言語の壁に悩まされて園生活ができないという事もなく過ごしている。(私なら1時間もポルトガル語だけの世界に入ると疲れてしまう)

さらに彼は、日本語を話す私には、基本的に日本語でしか話してくれない。

私が下手なポルトガル語で語っても、ポルトガル語での返事に積極的ではない。だけど、ブラジル人にポルトガル語で質問されると、ポルトガル語で応じる。日本人に日本語で名前を聞かれたら完全な日本語で応える。だけど、ポルトガル語で聞かれたら、幼稚園で呼ばれるようなポルトガル語のイントネーションで名前を応える。もしポルトガル語話者が、流暢ではない日本語で名前を尋ねたら、彼はたいていポルトガル式のイントネーションで応える。完全に相手を見分けて(即座に分類して)コミュニケーションをしようとしている。

 

ブラジルの日系2世や3世で生活レベル以上の日本語会話力がある方たちは、多くの場合、日本人一世と話す際、日本語で会話をしてくれる。1世側はポルトガル語を覚えるためにも、ポルトガル語で話してほしいのになあと思うこともしばしば聞かれる話だ。 そのことが、当初は、単に2世や3世の方が日本語を使いたいからなのかと単純な発想をしていた。でも、息子の成長を見ていて気づいたのは、人間は、相手に合わせる能力が高く備わっているということ。

人とのコミュニケーションで最も大切なことは、通じ合うことである。

人を見て、即座に相手とのコミュニケーションで最適な方法(言葉や態度)を判断する。それが本能だと思う。

 

だから、あまりポルトガル語でコミュニケーションができない私のような人に対しては、日系2世や3世で日本語ができる人なら、即座に日本語での会話が選択される。息子たちも然りである。そして、それがもっともスムーズなコミュニケーションとなる自然なあり方なのは言うまでもない。

 


        ❁フェルナンド・ペッソーアの言葉を引用

息子は幼児期から小学校低学年にかけては、平日の4~5時間以外、母親である私と多くの時間を過ごしていた。どう見ても、うれしい事も嫌な事も日本語で当たり前に心から表現して成長していた。小学校高学年(10歳)ごろからは学校外でも週に3・4日はブラジル社会の様々な活動に参加していたが、その頃にはアイデンティティーの面で、言語も含めて、まずは日本が自分にある、という意識がやわらかに出来上がっているように見えた。ブラジルの学校に通い続けてきたため、その頃には十分にポルトガル語での学習能力も形成されていた。 多分、このまま彼が成長すると、世界のどこにいても、フェルナンド・ペッソーアや知人の日系2世の方のように、母の言葉が感じる言葉となって生涯を送るだろう。

 

      「心は完全に、言葉は半分、日本人である」

 

    「文化面に関して言えば、内面的な生活と外面的な生活を持つことになるだろう。

       学ぶときにはポルトガル語で読む。

       感じるときには日本語で。

       伝えるときにはポルトガル語で話す。

       ただ、本当に何かを伝えたいときは日本語で語る。」

 

 この言葉は、世界中の日本とは異なる文化で生きる日本人の子どもが大人になった時に共通する

 フレーズではないだろうか?(ポルトガル語の部分は各国語に変化するが)

 

 ちなみに、フェルナンド・ペッソーアの英語の文章力はあまりうまくはなかったそうだ。

 ただ、それとは引き換えに、豊かな詩的表現を生み出す感性を異文化の狭間で与えられた。

神様はみんなに平等に何かを与えられるということを信じたい。

 

お便り

✿4歳で渡伯・みどりさん/サンパウロ/(2014/12/3)

感じたまま書かせていただきます。すべて同感です。学問的にも、お子様との体験もこめて書いておられるのでとっても解りやすく、たいへん興味深く一息に読ませていただきました。さらに自分を分析されておられるみたいで良い勉強になりました。ありがとうございました。   


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