◆北海道出身
◆女学校卒
◆1950年代に夫婦で
移民
◆育児中は自営業で夫と共に
働く
◆夫…自営業(雑貨卸業) 他界
◆子供…1人
◆孫…3人
◆長男…40歳代 医療機関に勤務
◆家庭では
ブラジルの小学校に入るまでは日本語のみで家族で会話していた
◆学校では
ブラジルの学校に入ると「ポルトガル語が分からないようなので、家庭で日本語を話さないようにして下さい」と言われ、その頃から次第に日本語を話さなくなった
◆一年もすればポルトガル語が圧倒的に上達し、学校での成績も優秀となっていった
◆自営業で働いてばかりでいたため、子供をゆっくり見てあげる暇が持てなかったのが今も母心として後悔が残る
◆息子が5歳のころ、日本に帰国した際、夫の実家で見た畳の上で正座し、手をついて頭を下げてお辞儀するという光景が、それまで挨拶は握手しかないと思っていた息子にとって強烈な印象として記憶に焼きついたらしい
◆息子はあまり日本語が得意とは言えないが
でも、自分なりに日本文化を伝えようとしているのかもしれないと思う
・孫たちには日本語教育のあるブラジルの学校に通わせている。
・ブラジルの学校では日本語ができる人もほとんどいないため、学校のスピーチでは日本語で話せる数少ない父親の一人として壇上で講演を行ったこともある。そのことは孫たちにとってとても誇りだったようで、日本人にルーツがあるという事を意識する機会になったようだ
◆孫とはポルトガル語での会話になるが、よく遊びに来てくれる
◆日本文化の一つであり、また親のルーツの言語という意味で、せっかく機会があるのならば、日本語は教えないより教えた方がよいと思う
◆第二次世界大戦前に移民した日本人1世は、苦労して働けども、自分の力では日本に帰ることもままならなかった人が少なくありませんでしたね。それでも、子供たちには日本語教育をしっかり行っていたと聞きます。自身が小学校4年生くらいまでの勉強期間しかなかった人であっても、読み、書き、そろばんと、戦後教育を受けた日本人よりも、漢字や言葉の意味もよく理解し、理解に努める人が多く、日本文化を受け継ぐ事を大切にしていた人も珍しくありません。
さらには、そういう子たちは、成長するとブラジル社会で立派に活躍するようになり、親の悲願だった郷里の土を踏みたいという思いを叶えてあげる人も多いですね。
また、たとえば孝の精神を培うためにも、自身が親を大切にする姿を見せ、また、言葉でも子供に対して常々口にして教えていくことも大切なのではないでしょうか。
私としては、夫婦ともに両親は日本にいたたため、なかなか親孝行ができず、孫も見せられなかったことにはせつなさが残っています。
◆いろいろな事を考えてみて、日本語教育については、親子の意思疎通が途絶えたり、うやむやになってしまわないためにも大きなポイントになると思います。
取材日/2014/11トコ
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