◆山口県出身
◆大卒(経済学)
◆1984年、日系二世のご主人と の結婚を機に渡伯
◆育児中も自営業(自宅にて)で働いた
◆夫…60代・サンパウロ州
出身。 自営業(食品卸業)
◆子供…3人(一男二女)
◆長男(30代)
大卒(工学部)後、建築会社に勤務
◆長女(20代)
生物学卒後、親の事業を継ぐ
◆次女(20代)
経営学卒後、親の事業を継ぐ
◆家庭では日本語で
私自身が一世で渡伯当初はポルトガル語ができずまた、子供は外に出ればポルトガル語が当たり前になると思い、日本語で育てること以外思いつかなかった
◆子供が小学生の時代は、日本の教科書をもらい、それに沿って自分で日本語を教えた
◆他、日本語学校に通わせた時期もあった
◆幼少のころから日本語で育てていたため、外国人に教えるための日本語教育の必要はなかった
◆上の2人の方は、よく日本語が出来る傾向に
あった
◆3人とも小学校レベルの読み書き能力はある
◆日本語教育には親の忍耐が必要。
◆日本人の子供や日系人にとっての日本語は、英語を学習することとは違う次元の世界である。自分に直結する祖父母のルーツを言葉を通じても意識できるという事は、言葉や文化といった何か根本的なものにつながっていくと捉えられると思う
◆小さい頃は自分の手の中にあるので大変とは思わなかったが、友人関係は大切だと思い、思春期からは特に子供の友人の人柄やその家族まで気にしていた
◆長女は特に運動神経がよかったのに、スポーツクラブに連れて行く暇もなく、一人で行かせる勇気もなく、せっかくの才能を伸ばせてあげられなかったのは残念だったと思います
◆あいさつ
「おはよう」といった朝の挨拶をはじめ、自分が育った当たり前の環境を家庭でも続けることを心掛けた
◆しつけ
特に家庭内の秩序は大切であると思い、例えば、食事中の席はきちんと決め、父親を一番に、兄弟の順に優位を置いた
できる限り食事は家族みんなでそろって食べ、
食事が終わるまでは立ち回らないなどに気を配り、父親が箸をつけてから食事をする、というようなことを大切にした
◆子供の名前の由来居について、人生の節目ごとに語り、親や周囲の思いを感じてもらえるようにした
◆目配りしながら・・・
・男の子にはタコ糸を伸ばしたりゆるめたりするように、ある程度行動の自由を持たせるようにしました
・女の子にはいずれ母親になると思うと、やはりお花を見てきれいだなあと素直に思えるような情緒を豊かにさせるような接し方を心掛けました
◆親子間の会話のやり取りでも、つながりも、うやむやにしない
◆色々な面で想像することの多さがある
最初から何かに限界を定められるような事がなく思う事にも作ることにも自由さがある
◆一人一人の人間性を伸ばしやすい環境にある
まだ子どもたちも結婚していないため、私自身は今も子育てを終えたという気持ちではありません。子どもが小さい頃の育児中は、楽しむというよりは、試行錯誤の繰り返しという感じでした。
小さな子供を育てている時であっても、人生は人との出会いに左右される面があるので、近所の方であれ、学校や習い事の先生であれ、身近なところで師と仰げるような人が見つけられればと思います。それは時に本の中や新聞の片隅で出会うかもしれません。そういう師を見つけられたら、心の片隅に置いて、子どもにも後押ししてやれるというのは親のできることかなと思います。
取材日/2014/11/トコ
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